こんにちは。ノムロウです。
今回「牧のうどん」の記事を担当することになったのだけど、正直困っている。
「牧のうどん」には、今まで2回行ったのだけど、まだ私は多分、この個性的なうどんの魅力を理解しきれていない。
そして、2回とも食後に腹痛に見舞われた。
この状態で何をどう書けば良いのかと悩んでいるのである。
牧のうどんに行ったのは2回。
1度目は旅行で福岡に来た時に行った今宿店。
2度目は移住後に行った周船寺店。
いずれも、なんともあたたかい接客で、おばちゃんがニコニコと対応してくれた。どこかほっとする雰囲気がある。
味の方も決して派手ではなく、素朴な部類に入るだろう。
淡く色づいた澄み切ったつゆは少し甘みを感じる。おばあちゃんの家で出てくるような優しい味だ。出汁がよく効いている。
うどんの上にのったごぼ天は、衣はふやけているのに、中味はサクサクという不思議な食感で、たいそう気に入ってしまった。
しかし、うどんの柔らかさには衝撃を受けた。
これは40年生きてきて初めての体験だった。
福岡出身のタモリが「うどんにコシは必要ない」と言っていたけど、これのことか。
これはうどんなのか。新しいジャンルの食べ物とした方がよいのではないだろうか。
このうどん、とても優しい食感で、はじめのうちは余裕でかきこむことができる。
食べ始めはこの柔らかさに驚いたが、それが心地よくなる。
「柔らかいねえ」「不思議だねえ」
と談笑する余裕がある。
しかしやがて、誰もが感じはじめるであろう違和感。
食べても食べても無くならない神秘的な体験。
目の前でどんどん汁を吸って膨張するうどん。
途中から恐怖すら感じはじめるのである。
「俺、負けるんじゃないだろうか」と。
うどんを食べに来たはずなのに、いつの間にか自分との戦いになっている。
鼻の頭に汗を浮かべて、水をかっこむ。
「なくならないねえ」と顔では笑みを浮かべているけど、動揺は隠せない。
本当にみんなここのうどんを食べたくて行くのだろうか。
この体験をしたくて行くのではないか。
「こんなにのびちゃったよ」
「食べても食べてもなくならないね」
このコントをやりたくて行くのではないか。
残すわけにはいかない。
なりふり構わず、とにかく一気に完食する。
食べ終わったあとに充実感はない。
ただただ、逃げ切ったという事実だけ。
そして、無理やり腹に詰め込んだ結果、私はお腹を壊すのである。
1度ならず2度までも。もともと私は腹が弱いのだが、2連敗だ。
焦ってよく噛まずに腹に流し込むからだろうか。
こんなに柔らかいのだから、噛まなくても平気ではないかと思うのだがダメらしい。
増え続けるうどんにペースを乱され、自滅。
そんなこんなで僕にとって「牧のうどん」は、ちょっとした鬼門になってしまっている。
牧のうどんを、ソウルフードとまで呼ぶ福岡県民もいる。
わたしはまだその理解ができていない。
真の楽しみ方が理解できていない。
牧のうどんは僕を試しているのではないだろうか。
お前はうどんごときにペースを乱されているのか? と。
今は正直、牧のうどんに行くのが怖い。
牧のうどんが悪いわけでは決してない。
味は好きだし、あの食感を楽しみに行きたいという気持ちはある。
でもまた、あの優しいうどんに負けてしまうのではないか。
福岡県民は小さい頃からこのうどんと対峙してきているから、自分のペースで楽しむことができるのだろうか。
歳のいったおじいちゃんが表情を変えずに完食しているのにも驚く。
牧のうどんを心から楽しめるようになったとき、腹をこわさず堪能できたとき、福岡というものを少し理解できるようになるかもしれない。そして、真の福岡県民に一歩近づけるのかもしれない。
「牧のうどん」